練習不足により演奏会を諦めてしまおうとしている中高生の皆さんへ
練習不足により演奏会を諦めてしまおうとしている中高生の皆さんへ
~例えば「THE(ほぼ)FIRST TAKE 合奏」を全力で愉しんでみる
今年度の集大成となる3月の演奏会がもう近づいてきているというのに、新型コロナウイルス「オミクロン株」感染症の猛威による「まん延防止等重点措置」の延長を受けて、厳しい活動制限により充分な練習時間が確保できていない、このままでは思い描いていた演奏会の開催は難しいと悩んでいる中高生、そして先生方がいると多方面から聞いております。
私たち千葉県立幕張総合高等学校シンフォニックオーケストラ部も、1週間後の3月18日、19日に「Spring Concert 2022」の開催を控えております。
私たちのように、これからの年度末の演奏会が中学もしくは高校生活で最後になるという3年生がたくさんいるはずです。
私たちの学校も年度予定や感染状況などの様々な理由から、2月中旬からまとまった活動を行っておらず、3月14日からやっと練習が再開できる予定です。
私たちの学校だけでなく、全国の音楽系部活動にとってこの1か月間は非常に辛い日々が続いたことでしょう。
もしかしたら、私たちにとって3月14日が演奏会前最後の学校での活動日になるのかもしれません。
つまり、演奏会を仕上げていくための時間が、残りほぼ「1日」しかないという窮地に今立たされています。
そのような状況にあることをただただ悲観し、嘆いて文句を言うばかりでは人間として「豊か」ではないので、
まずは「どんな形であれ、演奏会をやってみよう!」という強い信念を持ち、何よりも皆で考えることで演奏会に新しい価値を見出していきたいと思います。
どんな時にでも私たちは「アイデア」と「ユーモア」の力を忘れてはいけません。
窮地にこそ、発想の転換が必要にもなります。
私が今目指している「Spring Concert 2022」の新しいカタチは、皆が「THE(ほぼ)FIRST TAKE 合奏」を全力で愉しめるステージにすること。
学校に集まっての練習がほとんどできていない状況だけど、今こそ誰かにその演奏を聴いてもらおう。
ルールはただ一つ。それぞれが練習してきたものを「THE(ほぼ)FIRST TAKE」で合奏すること。
演奏会に向けて「やけくそ」と言われたらそうなのかもしれませんが、その「やけくそ」だって時には最高に愉しいものです。
私たちがまず、今回の演奏会で「THE(ほぼ)FIRST TAKE 合奏」に取り組んでみようと思います。そのようなカタチもそれはそれで面白いかもと、演奏会に少しでもポジティブな意味合いを見出せる中高生が増えていくことを切に願っております。練習不足を理由に演奏会の開催を諦めないようにしましょう。
「THE(ほぼ)FIRST TAKE 合奏」ではうまくいくこともそうでないことも、色々な事件が起こるはずです。
おそらく、いつも通りの価値観で捉えてしまえば、うまくいかないことの方が圧倒的に多くて消極的な演奏になってしまうはず。
しかしながら本番のステージは「そのスリルも含めて最高に愉しい」瞬間だと、皆には胸を張って言いたい。
私たちには色々な表現の可能性があることを怖じけずに信じていたい。音楽は何が起こるかわからないからこそ愉しいといった側面もあるのです。
ネガティブな気持ちのまま節目の演奏会を終えないために、これからの過ごし方は皆でできることを考えて、目の前の誰かと対話を重ねていくことが極めて重要です。
最後の最後まで私たちは人と対話することを諦めてはいけません。現在の日本や世界の情勢を思えば、もしかしたらこの難しい局面において「対話できる力」こそ、人間に与えられた最も大切な力であるように思います。
もしかしたら、一時は練習不可、演奏不可となってしまった決断も対話によっては覆ることがあるのかもしれません。
(例えば、本校の卒業式では、こちらの添付写真の通りの入念な感染対策を実施した上で、問題視されている管楽器を含めたオーケストラにより、本校3年ぶりの卒業式演奏を行うことが実現しました。企画当初は管楽器を加えることはできませんでした。)
練習が満足にできない中で、皆が誠実に音楽と向かい合って、それぞれ何とか持ち寄った成果が例えば「ズタボロ」であったとしても、それはそれで上等。
私は、今回はそのカタチにも最大限の賛辞を送りたい。整っているものだけがすべて美しいという訳でもありません。
今回はどうしてもそのように思うのです。
私たちはこの大変な時代に「何のために音楽をするのか」、「なぜ舞台に立つのか」、自分なりの理由を自力で見出さなくてはなりません。
物事を「ネガティブ」に捉えればただそれだけの音楽になります。これから何か面白いことが起きるのかも、と信じて行動すれば何かしら状況が良い方向に転じるのかもしれません。
3月中に演奏会をもし開催できるとなったら、自ら「本当ならこういうことができたはずなのに・・・」とネガティブな方向に自分を引きずり込む必要は一切ないはずです。
むしろこの状況で私たちはどこまでできるか、皆さんも自分自身を信じて試してみてください。
苦難の時代にこそ素晴らしい表現が生まれます。
いつも、どんな時にでも心の豊かさをあえて演出できるのが音楽家の役割です。
「こんな時代に音楽は必要ない」と塞がれても「こんな時代だからこそ必要」と必死に訴え続けるのが音楽家の精神で、音楽をする人間だからこその「アイデア」と「ユーモア」でこの局面を乗り越えていきましょう。
千葉県立幕張総合高等学校シンフォニックオーケストラ部
顧問 伊藤 巧真